昭和5年から閉山の昭和48年まで採鉱本部の跡地を再開発した銅山のテーマパーク
鉱山観光列車の(はでば)駅です。(うちよけ)までの約300
mの間、走っています。
千寿亭
昭和12年、住友各企業の迎賓館として建てられた京風数寄屋造りの純和風の建物
打除(うちよけ)鉄橋
明治26年に架設した単純曲弦トラス橋。
この種の橋は今では国内には殆ど現存せず貴重なものです。
山には寒桜が咲いていました。
第四通洞
銅鉱石や機械を運搬した長さ4600mの水平通洞。
アーチ型のトンネル入り口には住友家15代家長住友吉左衛門友純氏の筆による「第四通洞」の文字が刻まれています。
観光坑道
負夫(おいふ)と掘子(ほりこ)・・坑口の上には銅山の守護神が祀ってありました。背に葛で編んだ篭を背負った運搬夫(おいふ)と採鉱夫(ほりこ)は栄螺の貝殻で作った明り取りを手に坑内に入りました。
堀場(つぼ)・・採鉱は主につちとのみの手作業でした。
湧水の引き揚げ・・水がたまると採鉱が難しくなるので湧水を坑外へくみ出す作業が行われます。
風呂場・・坑口を出ると共同浴場がありました。
砕女小屋(かなめこや)・・運び出された鉱石は砕女と呼ばれる女性達によってかなづちで一寸角位の大きさに砕かれ色の濃淡で選別されました。
銅の精錬・・選別された銅は精錬されました。輸出用の棹銅、国内向けの丸銅、丁銅に変えられていました。
粗銅改め・・山でつくられた粗銅は山役人の立ち合いモト、量を計られ、銅山税として13%が幕府におさめられていました。
索道基地・貯鉱庫後
を上から見ると。
貯鉱庫跡
インクライン跡
東平資料館
東平の歴史や往時の生活文化をジオラマ、地形、写真映像などにより紹介し銅製品や鉱石などの展示。